良いとか悪いとかって人それぞれの価値観で決めているもの。例えば、他人の過去を批判する権利は誰にもないと思うんだよね。でも一番多いのは自分のことを悪く言ってしまう人って多いし、そのことによって悪いものを引き寄せてしまっていることを理解して欲しい。
もちろん私も完璧な人間ではないし、時に判断することもあるとは思うけど、昔の自分と比べたら圧倒的に考え方が変わったのは確かだし、対お客様、関わる人たちへもその感覚は独特とも思えるほど、冷静で穏やかである。
なぜ冷静で穏やかになったのか?
昔は点で物事を考えることが多かった。でも、色々な人生経験をし、わかったことは「人生は必要なことだけが起きている」ってこと。それに気付いた時、私は涙が溢れ、良かったことも悪かったことも全てが感謝に変わった。
正直、なぜ「冷静」「落ち着いている」「芯が通っている」っとよく言われるかはわかっていなかった。別にそれが自分としては当たり前だと思っていたし、人と違う部分があることもわかっていなかった。
ひとつ言えることは、大きな悲しみや苦しみの裏側には「愛」があるってこと。特に自分の中の奥底に眠る何かに共鳴し、事が起きている。魂レベルでそれが起きているから、普通の人ではそれに気付きにくい。
多くの場合、それに気付く人っていうのは、大きな悲しみ、苦しみを経験している人が、反対側にある「愛」に気付く。
私は、身体の異変に気付くまで我慢していたことに気付かないでいた。その異変にようやく気付いた時に、このままでは死んでしまうってところまでいっていた。
そこまでいくともう感情的にはならない。浮気していようが、借金していようが関係ない。ただただ無理なだけ。その時は痛みや苦しみ、悲しみに蓋をしたけれど、また別のところでそれがポコッと現れ知らせが来る。
何度か繰り返さないと気付けなかった私は、だからそんな現実を生み出した。
慣れる、対応できる身体に
時に自分は冷たい人間なんじゃないか?って思うことがあった。
それは人は人、他人は他人で、他人に起きていることは、自分には経験できない。だから冷静。ぶっちゃけると本当にそうなのだから。だから、いくら自分の意見を押し通そうと思っても、受け入れるかどうかは相手次第。誘導することも可能ではあるけれど、心に目を向けるとそれは違う。
良い、悪いの視点で考えるなら、私にとってはどちらでもいい。最終的に必要であれば選ばれるし、必要でなければ選ばれない。ただそれだけ。
慣れって怖いもので、それを普通にできるようになったら、自分の中で当たり前になっていく。私はそんな経験もしている。
ネガティブな人に対して
私は表面的な部分はあまり見ていない。
言葉や言動の裏に隠されているその人の本質や愛。ネガティブになることもよくわかるし、人によっては、それが可愛くも思える。
だって本当は違うのだから。
その人の人生の裏側まで覗くとめちゃくちゃ輝くものがあって、ただそれを受け入れることで、人は変わる、変われる。
自分のことをめっちゃ悪く言う人。
それはめちゃくちゃ勿体ない。でも、それを言うことでバランスを取っていることも事実。それも含めて認めたうえで話をしていくと、そんな人も心が癒され変わっていくし、自分を認めだす。
面白くないですか?
まとめ
最終的には、視点を大きくすることで人生が楽に生きられる。点で見るのではなく、人生レベルや魂、宇宙レベルで考えれば、起きていることなんて、たいした問題ではない。
それよりかは、やってきたことに対して、冷静に受け止め、流すことで、自然と必要なことがやってくる。自然の流れってそんなもの。